三浦市観光案内:観光情報スクエア
三浦市観光案内:観光情報スクエア
トップページ お問い合わせ サイトマップ サイト内検索
三浦市観光案内:観光情報スクエア
イベント グルメ レジャー 旬の情報はうみう隊をクリック!
おすすめスポット
三浦を知る
自然を満喫!
三浦散策コース
食べる
泊まる
買う
イベント&レジャー
シーズン別スケジュール
レジャー
内容別詳細
みうら観光写真コンクール
地図
三浦市全体図
グルメマップ
宿泊マップ
買い物マップ
交通案内
ドライブ便利情報
駐車場
渋滞情報
(財)日本道路交通情報センターへ
お天気
今日の天気
Yahoo!天気情報
海の情報
インフォメーション
個人情報の保護
観光ボランティアガイド
自然保護
リンク集
サイト内検索
サイトマップ
お問い合わせ

おすすめスポット:三浦を知る
三浦を知る インデックス歴史・史跡・文学アート地層花・魚
文学へ
油壷湾〜荒井城址
▲油壷湾〜荒井城址
三浦半島を舞台に活躍した歴史の主人公といえば三浦一族。平氏の流れをくむ始祖為通(ためみち)が三浦の地を所領としてから、鎌倉幕府創建、北条氏との覇権争い等の動乱を経て、荒井城で敗れた三浦道寸(どうすん)まで。およそ450年ものあいだ相模の主として君臨していました。

三浦一族は鎌倉の昔から戦国時代の初頭にかけて、動乱の中世を活躍した坂東の名門でした。頼朝亡き鎌倉の覇権をめぐる北条との対決に破れてなお270年もの間、相模の地に君臨しましたが、奇しくも同じ北条の名を唱える伊勢新久郎と争うことになり、戦国争乱の露と消えたのです。始祖為通以来450年、三浦一族はつねにときの権門と対立し、一族相克の悲劇をくり返しながら炎と燃えたつわものでした。
和田義盛
▲和田義盛の木像
室町時代の作。
寄木造り『玉眼かん嵌入』
(三浦市指定有形文化財)
和田義盛は、三浦大介義明の長男杉本太郎義宗の子として、久安3年(1147)に生まれました。治承4年(1180)源頼朝は、石橋山で平家追討の旗上げをしましたが、それ以来、義盛は一族とともに、頼朝に従い平家追討に活躍をしました。平家滅亡後、義盛は侍所の別当に任ぜられ、幕府のためにその任務を果たしてきました。しかし、頼朝の死後、しだいに勢力を強めてきた北条氏のために、義盛とその一族は、建保元年(1213)の「建保の戦」に敗れ、由比ヶ浜で自害しました。義盛67才でした。
義盛旧里碑
▲義盛旧里碑
京急三崎口駅下車。横須賀行バス「和田」下車。徒歩10分
義盛旧里碑(よしもりきゅうりひ)
和田義盛は父義宗の死後16歳で鎌倉杉本から和田に移り和田姓を称するようになりました。義盛はよく田畑を拓き領民を慈しんだので、後年住民がその徳を偲び旧里碑を建てました。
       
わくり井戸跡
▲わくり井戸跡
京急三浦海岸駅または 京急三崎口駅下車。横須賀行バス「和田」下車。徒歩10分
わくり井戸(霊泉)と精進川
和田義盛は、塔の台に安置された地蔵菩薩を、深く信仰していました。
義盛や信仰厚き人々は、わくり井戸(霊泉)からの流れ川で、垢離を取って地蔵菩薩を参詣したと言います。
このことから、この川を「精進川」と呼ぶようになったと伝えられています。
現在、土地改良事業によりわくり井戸(霊泉)と精進川は見られなくなりました。
 
海南神社
▲海南神社
京急「三崎口駅」下車
三崎東岡行バス「三崎東岡」下車徒歩5分
三崎港行バス「三崎港」下車徒歩1分
海南神社(かいなんじんじゃ)
頼朝の源家再興に味方することを決めかねた三浦義明は海南神社で狐合い(赤、白の狐を戦わせる)の神事をみて源氏荷担をきめました。なお境内には頼朝手植といわれる見事な銀杏の古木があります。


▲ページのトップへ
三浦市観光案内
ページの先頭へ戻る