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▲和田義盛の木像
室町時代の作。
寄木造り『玉眼かん嵌入』
(三浦市指定有形文化財) |
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和田義盛は、三浦大介義明の長男杉本太郎義宗の子として、久安3年(1147)に生まれました。治承4年(1180)源頼朝は、石橋山で平家追討の旗上げをしましたが、それ以来、義盛は一族とともに、頼朝に従い平家追討に活躍をしました。平家滅亡後、義盛は侍所の別当に任ぜられ、幕府のためにその任務を果たしてきました。しかし、頼朝の死後、しだいに勢力を強めてきた北条氏のために、義盛とその一族は、建保元年(1213)の「建保の戦」に敗れ、由比ヶ浜で自害しました。義盛67才でした。 |
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▲義盛旧里碑 京急三崎口駅下車。横須賀行バス「和田」下車。徒歩10分 |
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義盛旧里碑(よしもりきゅうりひ)
和田義盛は父義宗の死後16歳で鎌倉杉本から和田に移り和田姓を称するようになりました。義盛はよく田畑を拓き領民を慈しんだので、後年住民がその徳を偲び旧里碑を建てました。 |
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▲わくり井戸跡
京急三浦海岸駅または 京急三崎口駅下車。横須賀行バス「和田」下車。徒歩10分 |
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わくり井戸(霊泉)と精進川
和田義盛は、塔の台に安置された地蔵菩薩を、深く信仰していました。
義盛や信仰厚き人々は、わくり井戸(霊泉)からの流れ川で、垢離を取って地蔵菩薩を参詣したと言います。
このことから、この川を「精進川」と呼ぶようになったと伝えられています。
現在、土地改良事業によりわくり井戸(霊泉)と精進川は見られなくなりました。 |
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▲海南神社
京急「三崎口駅」下車
三崎東岡行バス「三崎東岡」下車徒歩5分
三崎港行バス「三崎港」下車徒歩1分 |
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海南神社(かいなんじんじゃ)
頼朝の源家再興に味方することを決めかねた三浦義明は海南神社で狐合い(赤、白の狐を戦わせる)の神事をみて源氏荷担をきめました。なお境内には頼朝手植といわれる見事な銀杏の古木があります。 |